子どもアドボカシーとは

あなたが幼い頃、大人から丁寧に気持ちを聞かれたことはありますか?

あなたがあなたの気持ちや考えを、話しやすいようにしてもらったことは、ありますか?

あなたの気持ちや考えを、代弁してくれる大人はいましたか?

反対に、あなたの気持ちや考えを聞いてもらえなかったことはありますか?

話しやすい雰囲気をつくってもらえなかったり、代弁してもらえなかった経験はありますか?

そのとき、どんな感情が、湧き起こりましたか?

子どもと大人に違いはたくさんありますが、違わないこともたくさんあります。
小さな子どもが、気持ちや考えをうまく表現できなかったとしても、その子の尊厳と権利までもが小さいわけではありません。

届きにくい声、小さな声が届くように支援して、結果を出す行為をアドボカシーと呼び、その支援は「マイク」に例えられることがあります。ただし、「マイク」のスイッチを入れるのはその子自身。「マイク」が勝手に喋り出して代弁することはありません。

文化を一緒につくる

イギリスの子どもアドボカシーの第一人者、ジェーン ・ダリンプルさんは 『子どもたちの話を聴いて、子ども主導で物事が進められるようにしていくのが子どもアドボカシーの仕事です。』 とおっしゃいます。

そして 『子どもアドボカシー文化は子どもたちと一緒に作っていくことが大事です。
それは不可能なことではありません。出発点は、子どもたちは社会的な主体であり、自分の人生について自分の意見を持っているのだということを認めること。
そしてその意見を大人たちと共有できるのだということを認めることです。

子どもたちは常に「尊重されたい」と思っています。他者と「安定した関係を築きたい」、「一定の支援を受けたい」と思っています。「大人と同様に意見を大切にされたい」と思っています。』 とおっしゃいます。
わたしたちは子どもの頃、確かにそんな風に思っていたはずなのに、大人になると、子どもたちにそうしてあげたい、とは思えなくなりがちです。

子どもアドボカシーの担い手は、組織に所属する専門職、親などの近しい人たち、同じ背景を持つ人たち、そして組織に属さず独立性を保ちながら支援する人たちに分かれます。
それらが役割を補い合って、みんなで子どもたちを支えるのが、理想です。

プロセスが大事

前述のジェーン・ダリンプルさんは 『独立子どもアドボケイトは、権力関係の中で子どもたちの最善のために異議を申し立てる立場をとります。 子どもの意見に賛成できない場合であっても、子どもの側に立ち続けます。 最初はなかなか難しいですが、不可能ではありません。』 とおっしゃいます。

他人から丁寧に声を聴いてもらい、気持ちや意見を充分に尊重された子どもたちは、自らが元々持っている力を用いて自らの声を聴き、自ら声を上げたり、自らに関係した物事を自ら決められるようになります。

また子どもたちは大人よりもプロセスを大切にします。丁寧な対話のプロセスを味わうことは、民主主義を子ども期に体感することになります。

そうした経験は、自律的、主体的に自らの人生を生きるための支えとなり、利他的な思考や行動の源泉となり得ます。
自分の人生に参画することは、社会に参画するための動機に、自然と繋がるでしょう。

「私たち抜きに私たちのことを決めないで。」(Nothing about us without us.)
1970年代のアメリカで、肢体に障害がある人たちが自立生活を望んで声を上げた際に、彼ら当事者が権利の主体であるとは、なかなか認められなかったそうです。

アドボカシーが存在し得るには、当事者が権利の主体であると認められることが大前提であるため、必然的にアドボカシーを行う人(アドボケイト)は、単なる代弁者ではなく、当事者が元々持っている力によるアドボカシー、つまりセルフアドボカシーを促すような在り方で接するべき、ということになります。
この考え方はとても、大切です。